まつりの情報
開催内容
烈夏七夕まつりとは
烈夏七夕まつりは、「旭川の顔になる新しい夏まつりを百年後に伝えよう」という、地元への愛情、そして毎年必ず同じ時期に開催される旭川を代表するまつりとなってほしいという想いから1991年に第1回が誕生しました。このまつりは旭川開基100周年に誕生以来、踊り・太鼓そして山車の連行を基本とし、毎年様々な工夫により変化を重ねてきました。近年は昭和通りを使用しメインストリートが一直線に見渡せるようになり、太鼓よさこいフェスティバルの開催や、大太鼓カムイの参加、ダイナミックな山車の連行、山車コンテストの開催、5条通りでの感動的なフィナーレの演出などにより、魅力のある「まつり」を創造してきました。
実施概要
名称 | 第34回 烈夏七夕まつり |
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開催テーマ | 「伝統の輝き × 革新の煌めき」 |
開催日 | 令和6年8月3日(土) |
開催場所 | 旭川市(7条~3条昭和通り) ※フィナーレ会場は5条昭和通り |
主催 | 一般社団法人 旭川青年会議所 |
主管 | 烈夏七夕まつり実行委員会 |
タイムテーブル
通行止め情報
ゲスト紹介
坂口渚沙
19:45~ [5条] 実行委員会山車(2番山車)に乗って連行参加
21:07~ [5条] MCとトークセッション
■坂口渚沙
坂口渚沙(さかぐち なぎさ、2000年12月23日生まれ)は、日本のアイドルであり、YouTuberです。元AKB48メンバーで現在は女性アイドルグループ・LarmeRのリーダーとして活動しています。愛称は「なぎ」で、北海道旭川市出身。Sizuk Entertainment所属。 2014年に『AKB48 Team 8 全国一斉オーディション』で北海道代表として合格し、AKB48チームBと兼任するなど活躍しました。彼女は2016年の『AKB48 45thシングル 選抜総選挙』で初ランクインし、その後も数々の選挙で上位にランクインしました。 2019年には旭川観光大使に就任し、2020年にはYouTubeチャンネル「なぎなぎTube」を開設しました。2023年4月にチーム8が活動休止し、その後チームB専任となりましたが、同年8月にAKB48を卒業。11月にはSizuk Entertainmentに所属し、12月に新グループLarmeRのメンバーとなりました。坂口渚沙はその多彩な才能と魅力で、今後も幅広い分野での活躍が期待される存在です。 イメージキャラクター 「Made in 北海道」応援大使(2016年9月3日 - 、「Made in 北海道」事業実行委員会 北海道♥献血推進ガール(2018年3月3日 - 、北海道赤十字血液センター) 「民族共生象徴空間」開設PRアンバサダー(2018年10月 - 2020年7月)
TATSUAKI氏&Fuga氏
19:45~ [3条会場] ビートボックスLIVE
20:55~ [5条会場] ビートボックスLIVE
■TATSUAKI
上川郡和寒町出身。 一般社団法人・日本ヒューマンビートボックス協会主催 JBC(ジャパンビートボックスチャンピオンシップ)2012においてベスト4[1]。北海道最大のヒューマンビートボックスイベントである七変化では優勝を果たし、初代北海道Championとなった。 JBC2016にて、ソロバトル優勝、また初開催のタッグバトルにはEttomanとのタッグであるiLLDEMとして参戦し優勝。タッグバトル初代チャンピオン、かつJBC史上初のソロとタッグの2冠を達成した。 Asia beatbox championship2017ソロ部門で準優勝、タッグ部門3位に入賞する。 2018年4月16日、banvoxの楽曲Watch meをYouTube上に投稿し、Fuga,HIRO,SHOW-GOとともに4thGASとしての活動を始める。 Asia beatbox championship2018で、ソロ部門、タッグ部門ともに準優勝。 2021年3月にはコロナ禍でのライブ配信が可能な環境や、YouTubeの編集場所、オンラインレッスン等に利用可能な設備を持つ新しい現代の飲食店の開店を決意し、クラウドファンディングを開始する。 2021年11月12日、クラウドファンディングにて募った資金を元にバー「Sigrid」を開店する。 2022年3月、日本最大級のビートボックス大会であるJPN CUPソロ部門にて優勝。
■Fuga (Rofu)
札幌市出身 HIKAKINやDaichiの動画からビートボックスを知る。その後、Ibeatboxerが投稿したReeps One、Vahtang、Masta micのビートボックスバトルの動画に衝撃を受け、2012年頃に本格的にビートボックスを始める。 2016年7月、Boost旭川 DANCE×BEATBOX 2on2 BATTLEにて優勝。 Asia Beatbox Championship 2017へ師匠と仰ぐTATSUAKIの出場が決まっており、さらにSHOW-GOの出場も確実視されていたことから、同じく北海道出身のビートボクサーHIROとタッグチーム「Rofu」を結成し、タッグ部門でのワイルドカードの応募動画を投稿する。最終成績はベスト8であった。 2017年12月、札幌BEATBOX BATTLE “うぇき杯”vol.3にて優勝。 2018年4月、TATSUAKIの声掛けによりSHOW-GO、HIROとともに4人組ビートボックスクルー「4thGAS」を結成し、各地でライブ等を行う。 2018年6月、沖縄BEATBOX BATTLE “SECOND LANGUAGE”にて優勝。 Asia Beatbox Championship 2018にRofuとして出場し、日本人タッグ初のアジア優勝を果たす。 2018年12月、札幌BEATBOX BATTLE “うぇき杯”vol.4優勝。 2019年11月、Hokkaido Beatbox Battle 七変化Vol.5で優勝し、5代目北海道チャンピオンとなる。 2020年中頃より、Rofuとして活動する際はタンクトップにサングラスを着用するようになる。 RofuとしてGrand Beatbox Battle2020タッグ部門のワイルドカードへ応募し、繰り上げで出場権を得る。コロナウイルスの流行により大会が延期となるも、翌年にポーランドで開催されたGrand Beatbox Battle2021で第3位という結果を残す。
歴史
1991年(平成3年) | 1990年度の開基100年日本のまつりでの、旭川のパワフルなエネルギー、音と踊りの可能性、ロマンこの三つを調和させた子供達、若者達が誰でも自由に参加出来る新しい『夏まつり』の創造を目指す。 |
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1992年(平成4年) | 今後の旭川の顔となる新しい『市民参加の夏まつり』への意識を高め定着を目指す。 |
1993年(平成5年) | 旭川夏まつりに係る市民及び団体などとのネットワークづくりを推進し、『地域意識』の創造を目指す。 高揚を図ると共に、旭川夏まつりへの積極的な参加を促す事業を展開する。 |
1994年(平成6年) | 過去3年間のJCの烈夏七夕まつりをふまえて、これからの夏まつりの核となるまつりとして100年後を見据えた烈夏七夕まつりを創造する。 |
1995年(平成7年) | 旭川夏まつりにおいて顔となった「烈夏七夕まつり」を更なる市民への定着化と『地域意識』の高揚を図り道北全域、全国への発信し、協力市民団体と共同開催し、すばらしい感動の夏まつりを推進する。 |
1996年(平成8年) | 旭川夏まつりの中・的存在となった「烈夏七夕まつり」を通し更なる市民の『地域意識』の高揚を図ると共に「まつり」に係る団体、各関係機関とのネットワーク創りを模索する。 |
1997年(平成9年) | 「市民参加」をキーワードにし、市民と一丸となる地域に根ざしたまつりを推進する事により市民の『まつりを通した街づくり』に対する意識の高揚を図る。 |
1998年(平成10年) | 短くも暑い夏をおもいっきり楽しむ事業を推進し、そこに集う人々の暖かい心の環境を創造し、郷土愛精神の醸成と元気な人々の住む元気な旭川づくりの一助をなす。 |
1999年(平成11年) | 自分たちの住む旭川の元気の源となるような事業を推進すると共に、市民自らがその事業に対して主体的に参加・参画するという意識を芽生えさせることを目的とする。 |
2000年(平成12年) |
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2001年(平成13年) |
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2002年(平成14年) | 地域住民が「烈夏七夕まつり」を通してもっと元気になって頂きたいし、今まで以上に感動して頂きたい。その為に「まちづくりマネジメント計画」に基づき、まちづくりに対して意欲のある人を応援、支援し「新たなまちづくりのリーダー」を発掘して、次代を担う子供たちを含めた市民参画型にすることで、活力あふれる「オンリーワンの我がまちづくり」を目指します。 |
2003年(平成15年) | 烈夏に携わる全ての人々が心からまつりを創る楽しみ、参加する楽しみ、見る楽しみを感じてもらい郷土旭川の夏の風物詩(まつり)として心に残る感動として再度認識して頂けるようなまつりを共に創り上げることを目的とする。そしてより多くの市民が気軽に参加できるように参加者、市民実行委員会等の皆様からご意見を頂きながらより深く、従来よりも一層幅広い協力体制の構築を目指す。 |
2004年(平成16年) |
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2005年(平成17年) |
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2006年(平成18年) |
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2007年(平成19年) |
本事業を「魅力あるまつり」にすることで、人と人とのつながりを創造し、郷土愛の醸成を図る。また、住民参画システムの構築とまちづくりリーダーを発掘し、実行委員会と共に地域社会を担う人材を育成することを目指す。
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2008年(平成20年) |
まつりを通し、連帯感や郷土愛を育んでいただき、より一層地域住民の方々が参加・参画しや
すい環境をつくり、まつりを創り上げる楽しさややり遂げる達成感を味わってもらえる実行委員会の確立を目指し、さらには、まつりに関わった多くの人たちが、人とのつながりを強め、旭川の街づくりに「夢」や「楽しさ」を感じてもらえることを目指す。
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2009年(平成21年) |
本年度の取り組みとして、「創始への挑戦・確固たる烈夏の創出」を基本コンセプトに住民主
体で新しい「烈夏七夕まつり」のスタンダードを構築することを目指しまた、まつりを通したまちづくりに対して住民が企画段階から参加することで、我々と住民がそれぞれの果たすべき役割を自覚し、信頼関係を築くとともに相互に補完し、協力して取り組むことを目指す。 【目的】 参加者には本事業を通し、自分たちが話し合ったことがまつりの中に表現されていく喜びを 知ってもらい、郷土意識の高揚と市民相互の連帯を深めるとともに、明るく豊かな社会の創造 と地域振興へ寄与する。また、対内メンバーに対しては、本事業を通して、自分たちのおこなっていることが人々に感動を与えることの出来る楽しさや、喜びを感じてもらい、今後の青年会議所活動の一助としていただく。 |
2010年(平成22年) |
20回目の開催という節目を迎えるにあたり、本年度は「地域の人々全員が街のプロデュー
サー」を基本理念に、住民参画を進め、多くの住民が「街のプロデューサー」になれるように、祭りのソフト・ハードに住民のアイディア、意見を幅広く取り入れて、一般の人々が誰でも気軽に「街づくり」に参加できるようなシステムを作り上げていけるように推進することを目指す。 言い換えると、住民が自ら考え斬新なアイディアを出し、皆と一緒に創造し実現していく喜び、自らが主役となって注目を集める快感が参加者の心をとらえ、学校、職場、地域、そして仲間同士で祭りに参加するチームが組まれ、地域の人たちが中心となった実行委員会が組織され、住民の方々による運営がなされ地域密着型の祭りへと進化していくことを目指す。 |
2011年(平成23年) |
烈夏七夕まつりを通じて、旭川市民が郷土愛を育むこと。それが我々の思い描く「夢」の一つです。幼稚園児が参加する子烈夏山車やまつりを支えていただく市民ボランティアの皆様が参加する市民ボランティア山車が繰り出し、小学生が練習してきた太鼓の腕前を魅せます。また、フィナーレでは「織姫&彦星天の川の物語」企画が行われ、今年よりカップル企画が復活いたします。 幼稚園児や小学生がまつりに参加することにより、未来の旭川を担う子供たちの記憶に深く刻み込まれ、将来まつりを通して旭川を盛り上げてくれる人材が育つかもしれませんし、また市民ボランティアの皆様がまつりの準備だけではなく、本番に参加することにより、まつりの楽しさを体感していただきたいと考えています。フィナーレの織姫&彦星企画に参加されるカップルには一生の思い出となり、8月の第1土曜日には烈夏七夕まつりがあるから、この日は必ず旭川にいたい。故郷を離れた市民の皆様にも、旭川には烈夏七夕まつりがあるから、この日は旭川に帰りたいと思えるようなまつりを創り上げたいと考えております。 |
2012年(平成24年) | 「夢」とは、いつの日か実現したいと願う理想であります。まつりを通じて旭川の子供たちが郷土愛を育むこと。それが我々の思い描く「夢」の一つです。進学・就職にともなって旭川を離れても、まつりの開催に合わせて帰旭したくなる。そんなまつりを実現したいと考えます。 |
2013年(平成25年) | 『鼓・踊・山!魅せる烈夏魂』 太鼓、踊り、山車の一体感を高める! まつりのイメージは、熱気が溢れ、躍動する男、艶やかな女、たくさんの人が集い、太鼓の音が鳴り響き、提灯の明かりが並び、納涼の夜の匂いを体に感じ、夏の思い出として心に残るもの。 若年層は「まつりは見に行くもの」というイメージがあり、中年層からは企業や仲間などの関係により全員ではないが、「参加する立場になる」人がいる。若年層が年齢を重ね、参加する立場になる時、この旭川には、夏の最大のイベントとして「烈夏七夕まつり」がある事が誇りに思えるようなまつりとして、輝き魅力あるものとして継続し続けなければならない。 烈夏七夕まつりは、旭川夏まつりのフィナーレを飾るイベントであり、まさに感動が溢れかえる場所である。本年は、その場所を更なる一体感で賑わいを創出するために、太鼓、踊り、山車が一体となることをコンセプトとして、まつりを成功へ導きたい。 |
2014年(平成26年) | 烈夏七夕まつりを市民のためのまつりとして100年後まで伝えること。そして旭川市民がこのまつりを通して、生まれ育った街旭川への愛着「郷土愛」を育むこと。それが我々の思い描く「夢」の一つです。 子どもたちの体験和太鼓や、高校生をはじめ市民ボランティアの皆様が参加する企画、フィナーレでの「織姫・彦星」演出、随所に魅せる七夕演出、山車、太鼓、踊りが一体化した演出による、よりパワーアップした山車コンテストの開催、太鼓YOSAKOIフェスティバルの更なる充実などにより、多くの方々に楽しんでもらうように計画しています。幼稚園児や小学生、また高校生、大学生ボランティア団体がまつりに参加することにより、未来の旭川を担う子供たちの記憶に深く刻み込まれ、将来まつりを通して旭川を盛り上げてくれる人材が育つかもしれませんし、より幅広い年齢層の方々が参加・来場できるまつりは、旭川の活性化の一助となりえると考えます。 8月の第1土曜日には烈夏七夕まつりがあるから、この日は必ず旭川にいたい。故郷を離れた市民の皆様にも、旭川には烈夏七夕まつりがあるから、この日は旭川に帰りたいと思えるようなまつりを創り上げたいと考えております。 |
2015年(平成27年) | 烈夏七夕まつりの創始の想いとは、毎年必ず同じ時期に開催される旭川を代表するまつりとなってほしいという、地元への愛情から生まれてきています。この創始の想いを多くの市民に伝え、まつりの魅力を体験してもらい、さらに地域に根ざしたまつりに発展・継承していくことが、市民のための「まつり」として長く定着し、郷土愛や豊かな心を育むきっかけになると考えます。 |
2016年(平成28年) | まつりは「見る側」「参加する側」「担う側」の三者によってなされますが、烈夏七夕まつりはそのそれぞれの点において、市民の参加が進められてきたといえます。烈夏七夕まつりは、多くの市民を街中に引き寄せるという経済的効果をもたらすとともに、青少年への文化の継承への貢献、普段かかわりのない市民が一緒に関わってまちづくりの役に立つという面での貢献をもして来ています。しかし、このまつりを百年続くまつりにするためには、より多くの市民が参加して、「『夏だ』→『まつりだ』」という認識を、多くの市民に刻み込んでもらうことが重要で、本年はより多くの市民に烈夏七夕まつりを見てもらい、旭川の夏の風物詩として楽しんでもらいながら、まつりを次世代につなぎ、市民の創るまつりへとまた一歩近づけるたいと考えております。また、本年は旭川夏まつり55周年の年で、記念事業である「道北の行灯まつり」と烈夏七夕まつりがコラボレーションして節目の年を盛大に開催したいと考えております。 |
2017年(平成29年) | 市民が主体的に創り上げより身近なまつりへとさらなる前進をはかるべく本事業を実施する。
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2018年(平成30年) | 烈夏七夕まつりを通じて市民の想いに触れることで地域づくりの活力を生み出し、年輪を重ね研鑽していくことで伝統とし、市民とともにあさひかわの熱い夏の代名詞を創造すべく本事業を企画する。
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2019年(令和元年) | 市民相互の仲の良さや共有する文化への愛着といった「つながり」を通じてより豊かさ旭川を想像するべく本事業を実施します
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2020年(令和二年) 【中止】 |
烈夏七夕まつりが地元の誇りとなるべく参加者団体と協議を行い邁進してきましたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により、中止となりましたが、第30回目となる烈夏七夕まつりに対する想いの火を途絶えさせないよう記念式典という形で、烈夏七夕まつりの「創始の想い」を第二回実行委員長の佐々木通彦氏にご講演いただき、参加団体の皆様と想いを共有しました。また第31回に向けて白半纏引継ぎ式を実施しました。 |
2021年(令和三年) 【中止】 |
昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により、まつり自体は中止となりましたが、実行委員会、参加団体の皆様と伝統の白番店引き継ぎ式を行い、その後山車の運行ルートである常磐公園や昭和通りのゴミ拾いをおこなりました。 |
2022年(令和四年) |
コロナ禍ではございますが烈夏七夕まつりを通して旭川に賑わいを取り戻し、更に活性化させる一助にするべく本事業を実施します。 ・各参加者団体がコロナにより縮小、担い手不足を止めるべくより多くの市民を巻き込みます。 ・コロナ対策を万全にして開催致します。密を回避する為5条通のみでフィナーレを行います。 |
2023年(令和五年) | 旭川青年会議所の伝統ある第33回烈夏七夕まつりは天候不順による過去に類を見ない中止という危機がありましたが、開催予定時間には天候は回復し、昭和通が市民や観光客であふれる中で一人のけが人もなく無事に連行でき、また、2019年以来の規模を縮小しない通常開催を執り行うことができました。 |
歴代実行委員長
年度 | 委員長名 | |
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第一回 | 1991年(平成3年) | 畠 明弘 |
第二回 | 1992年(平成4年) | 佐々木 通彦 |
第三回 | 1993年(平成5年) | 牧野 聰 |
第四回 | 1994年(平成6年) | 青木 典彦 |
第五回 | 1995年(平成7年) | 長谷川 力也 |
第六回 | 1996年(平成8年) | 田中 信也 |
第七回 | 1997年(平成9年) | 美馬 弘幸 |
第八回 | 1998年(平成10年) | 江夏 秀則 |
第九回 | 1999年(平成11年) | 仁矢 康己 |
第十回 | 2000年(平成12年) | 樋口 透 |
第十一回 | 2001年(平成13年) | 阿部 祐之 |
第十二回 | 2002年(平成14年) | 高畠 政美 |
第十三回 | 2003年(平成15年) | 金 聖一 |
第十四回 | 2004年(平成16年) | 酒井 祐司 |
第十五回 | 2005年(平成17年) | 寺島 賢一 |
第十六回 | 2006年(平成18年) | 石田 慶嗣 |
第十七回 | 2007年(平成19年) | 藤原 正幸 |
第十八回 | 2008年(平成20年) | 本間 公浩 |
第十九回 | 2009年(平成21年) | 安田 典充 |
第二十回 | 2010年(平成22年) | 千葉 真也 |
第二十一回 | 2011年(平成23年) | 福居 裕二 |
第二十二回 | 2012年(平成24年) | 石黒 裕規 |
第二十三回 | 2013年(平成25年) | 外崎 裕二 |
第二十四回 | 2014年(平成26年) | 稲田 良輔 |
第二十五回 | 2015年(平成27年) | 岩井 隆行 |
第二十六回 | 2016年(平成28年) | 伊藤 久美 |
第二十七回 | 2017年(平成29年) | 長井 翔一郎 |
第二十八回 | 2018年(平成30年) | 北崎 悌綱 |
第二十九回 | 2019年(令和元年) | 清水 健史 |
第三十回(中止) | 2020年(令和二年) | 尾野 洋介 |
第三十一回(中止) | 2021年(令和三年) | 遠山 優太 |
第三十二回 | 2022年(令和四年) | 遠山 優太 |
第三十三回 | 2023年(令和五年) | 横内 浩平 |
第三十四回 | 2024年(令和六年) | 筒井 和騎 |
敬称略